2005年06月06日

人をまとめる難しさ

自分は3年生のころから、何故かゼミ長をしている。
4年生がいるのになぜという疑問は置いといて、
人をまとめるのは本当に大変だと思った。

3年生がゼミ長をやると言うことは、4年生もまとめなければならないと言うことだ。
しかしやはり年上。
あれしてくれ、これしてくれとも言いにくい。
強く出るのもためらわれる。

これは俺のなかに年功序列という考えがあるせいかもしれない。
俺は年上にタメ口などを利くのには抵抗がある。
まあ、年上でも同じ学年なら話は別だが。
(それでも最初は敬語になってしまうこともあるが)
それは中学から部活に入っていた中で育まれてきたのかもしれない。

それに人間、考えていることはばらばらである。
それにゼミと言う性質上、求めていることもばらばらである。
部活などの場合、入ったときから先輩の言うことは絶対であり、
それに従うことを前提に入ってくるので、統制もしやすい。
しかしゼミはある程度の希望はあったにしろ、
そんな統一した意識はあるはずもなく、
それにほとんどが初対面の人たちである。
単位がかかっているのだから、気に入らないならやめろと言うわけにもいかない。
それにそもそもそんな権限はない。

まとめる役というのは、ある程度の権限があるからこそ出来るものだと思う。
そんなものがないのに従う人間もあまりいない。
もともとがあまり知らない人なのだし。
しかし自分のようなゼミ長にはそんな権限はない。
それでいて、名目上はゼミ長なので、いろんな役は回される。
それでその役をこなすわけだが、なかなかみんなはまとまらない。
権限もないので強制力もなく、先生に頼んで強権を発動してもらうくらい。
ある程度はまとまっても、酒とか飲んだら制御は不能になるし。

そうなると各々の協調性や自主性に任せるしかない。
その上で全く協力しない人間は切り捨てるしかないのだと思う。
幸い自分はそこまでの事態にはまだ遭遇していないが。
そうならないためにも、各人の協力と言うのは不可欠である。
協力や協調なしに不満などをぶつけられても困るだけである。
こちらも全力を尽くしているのだから、相手も出来ることはやってほしい。

そんな意識がない上では責任者とはただの体のいい雑用である。
自分がなんにも協力するつもりがないなら、
そのままずっと傍観者でいてほしい。

自分はずっと苦しい思いはしてきたが、
幸い3年生のときはみんなが協力してくれたので事なきを得た。
今の状況はどう転ぶかは分からないが、
最後にはやってよかったと思えるようになりたい。
posted by ホワイティ at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/7287110

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。